ミネアポリスが生んだ天才、プリンスが急逝してから2年。彼の自宅兼スタジオ「ペイズリーパーク(Paisley Park)」やミネアポリスでは、彼が残した偉大なレガシーを賛美しようと4日間におよぶ“セレブレーション”が催され、全米・全世界からファンが集結した。(※「セレブレーション」という名称は、プリンスが生前からこの場所で行っていたシークレットライブの呼称に由来する。)
ミネアポリスは、北はカナダと国境を接するアメリカ中西部ミネソタ州の大都市。ミシシッピ川流域に最初に栄えた歴史ある都市として知られる。若きプリンスはここで才能を開花させ、生涯この地を愛した。ペイズリーパークのあるチャンハッセン(Chanhassen)は、ミネアポリス市内から車で30分ほどの郊外の町。いかにもアメリカ中西部の小さな田舎町といった風情が漂う。
チャンハッセンの映画館の外壁一面に描かれたプリンスの肖像画。プリンスがここに住まいを設けてからの30年間、この町の人たちは常にプリンスとともにあった。普通に買い物したり散歩したりする彼を見かけても、プライバシーを守り”隣人”として接していたという。
ペイズリーパークの近くにはまだ手つかずの大自然が広がり、近くの小路を散歩したりサイクリングするのがプリンスの日課だった。ファンの間ではこの散歩道が「聖地」になっており、花束やメッセージがトンネル(Riley Creek)を埋め尽くしていた。
会場に向かうシャトルバスの中は、プリンス一色。プリンスのシンボルカラーである紫のものを身に着けたファンが笑顔を交わす。ファンたちはお互いを「Purple Family」と呼び合う。サウスキャロライナからひとりでやってきた50代の女性は、「去年もここにきたの。ここは私たちファミリーの“グラウンド・ゼロ”なのよ」と興奮気味に話してくれた。
皆でプリンスの名曲を合唱しながら会場に到着すると、揃いの紫のTシャツを着たボランティアスタッフが笑顔で出迎えてくれた。「ようこそセレブレーションへ!」
今年のミネアポリスは春が遅く、4月上旬には雪嵐が吹き荒れた。その名残の雪が高く積み上げられた自宅前。彼が亡くなった日に設けられたフェンス(“The Fence”)にはファンからのメッセージが絶えることがない。
正面入り口を入ると、天窓からまぶしい光が差し込む吹き抜け空間が広がる。白いハトが空を駆けのぼる壁紙。このコンパウンドのどこかで、プリンスは白いDoveとなって微笑んでいるのだろうか。
Day1 :4/19
「セレブレーション2018」の参加者は、約4000人。まず二組(トラック)に分かれ、さらに3グループに細分化されて入れ替わりで全プログラムに参加する。プログラム内容は、大きく分けて3つ。プリンスゆかりの人たちによるパネルトーク、プリンスのコンサート・スクリーニング(フィルム上映)、そして、新旧バンドメンバーらによる「ライブ・パフォーマンス」。初日19日のオープニングでは、この日初めて公開された『Nothing Compare 2 U』の映像が流れ、ファンは静まり返ってスクリーンを見つめた。中にはすでに号泣する人たちも。(今からこんなにエモーショナルになっていて、はたして4日間持つのか・・?)
曲と一緒に旅に出る人
初日最初のパネルトークのゲストは、やはりこの人。プリンスのよき友、同志、そして“一心同体の恋人”でもあった、シーラ・E。偉大なパーカッショニストである父(ピート・エスコバド)の背中を見ながら育ち、5歳ですでに共演。テレビでカレン・カーペンターがドラムをたたいて歌うのを見て、自分の将来を重ね合わせた。ハービー・ハンコック、ライオネル・リッチー、マーヴィン・ゲイなどレジェンドたちとツアーを重ね、80年代にプリンスのバンドに加わりブレイク。そんな自らのキャリアを語るとともに、プリンスとの深い絆を物語るエピソードを愛おしそうに、時には感極まりながら紹介してくれた。
「彼とは子どもみたいにいつも何かにつけて競い合っていたわ。バスケット、ピンポン、水泳、ドラム、ギターから衣装まで。でもギターだけは絶対彼の勝ち。
今でも彼が世界で一番のギタリストだと思っている。だってひとつの音を弾いただけで泣いてしまう、そんなギタリストは他にはいないもの」
プリンスからペイズリーパーク建設の計画を打ち明けられたとき、まだ何もない泥どろ予定地をふたりでステージ衣装ばりの服装とヒールで歩いた。「彼は私の手を取って、ここがスタジオ、ここはキッチンだね。といいながら案内しくれたわ」
「(レコーディングやライブでは)彼は曲と曲のつながりをとても大切にしていた。“曲と一緒に旅に出る”まさにそんな感じだった」
これからも聞いてくれる人たちがいる限り音楽をやっていくのみ。これは神様が私に与えてくれた才能で、プリンスも同じ思いだったはずよ。そう語ると、会場から喝さいが沸き起こる。プリンスとともにシーラ・Eを見てきたファン層(50代~60代)がほとんどを占める会場で、今回のシーラの参加の意味はとてつもなく大きい。
続くパネルトークは、過去にプリンスのオフィシャルフォトグラファーをつとめた、Nancy Bundt (ナンシー・ブント:85年の「パープル・レイン」ツアーや「ファースト・アヴェニュー」ライブのオフィシャルフォトグラファー)、Allen Beaulieu(アラン・ボリュ:アルバム“1999”のジャケ写真を手掛けた)、Steve Parke(シェィーブ・パルケ:「サイン・オブ・ザ・タイムズ」ツアー、「ラブ・セクシー」ツアーなどを担当。今回のイベントの公式フォトグラファーでもある)による、「被写体としての人間プリンス」を語る興味深い対談。
「撮影をしているとき、何万といる群衆の中にいる私のカメラ越しに彼がこちらを見た瞬間のエネルギーがあまりにもすさまじくて、後ろにひっくり返りそうになるくらいだった」
と、ナンシーは若き日のプリンスを振り返った。
紫の傘の中に包まれた“プリンス”という音の世界
続くパネルは、アレンジャーたちによる「作曲家としてのプリンス」談義。Brent Fisher(ブレント・フィッシャー:数々のプリンスの楽曲を手掛けた名アレンジャー、クリア・フッシャーの息子)が、「何を演っても、どんな曲も、”誤解の余地のないほどのプリンス”だった。それはあたかも「紫の傘の中に包まれた“プリンス”という音の世界のようだった」と語れば、Mike Nelson(マイク・ネルソン:「ダイアモンド・アンド・パール」ツアーのホーン・セクションのアレンジャー)は、「彼は絶え間のない創造者だった。我々の仕事は、プリンスの作った世界、独自性、天賦の才を損なわないようにアレンジするということだった」とプリンスの才能を湛えた。
初日の締めくくりは、シーラ・Eのスペシャルライブ。サイケデリックな衣装に身を包んだシーラとバンドメンバーが、観客を煽りにあおる。ドラム、パカッション、ギターと次々と楽器を変えながら踊り、歌うシーラの横にプリンスの姿を思い描き、ファンは熱狂した。
マイケル・ディヴィソン(Mychael Davison)の『ロックスター』ギターソロが、『パープル・レイン』のソロへと変わっていくそのトランジションで、会場の空気がひとつになる。頬に伝わり落ちる涙を拭おうとせず、シーラが言う。
「悲しむことはもういや。それにもう、悲しくなんてないわ。これは、喜びの涙よ!」
「さぁ、周りの人にハグをして、アイ・ラブ・ユーって言うのよ!愛、リスペクト、サポートに満ちた世界。これこそが、私たちのアメリカの本当の姿よ」
シーラに促され、ハグをしあう人たち。瞬く間に会場が教会にかわった。
“Sign O’ the Times” “Housequake” “America” “Erotic City” “ U Got The Look” “Love Bizarre” “Baby, I’m A Star”ととばし、自身のソロヒット、「グラマラス・ライフ(The Glamorous Life)」ではバックスクリーンに映し出された34年前の若き自分とシンクロして歌う。ああ時の流れの早さよ・・。
初日にして、この充足感と虚脱感・・。取材に来ていた地元新聞「ミネアポリス・スタートリビューン紙」の記者、クリスさんは今日を振り返ってこう話す。
「去年はもっと喪失感や深い悲しみに包まれていたけれど、今年はもう少しセレブレーション色の濃いイベントになっている気がする」
Day2 :4/20
二日目は、Paisley Parkで行われた貴重なプリンスのピアノ弾き語りのライブ映像からスタート。名曲『Sometime It’s Snow in April』や、ジョニ・ミッチェルの『Case of You』などを、しっとりとピアノだけで聴かせてくれる、そのあまりの美しさと彼がもういないのだという現実との乖離に呆然と静まり返る観客。思わずすすり泣く人たち。
4月に雪が降ることだってあるんだ。
とんでもなくつらくなるときだってある。
人生に終わりなんてなければいいのに。
いいことなんて続かないものなのさ。
Prince:ライブ・オン・ザ・ビッグ・スクリーン
この日のメインイベントは、ミネアポリス市内の屋内競技場、「ターゲット・センター」で行われた一夜限りのプリンス“復活”ライブ。後方の大スクリーンに、プリンス&NPGの過去のライブ映像(2011年、ノースカロライナ)が映し出され、その音源にバンドがシンクロナイズし寸分狂わずに再現するという夢のライブだ。よくある、”故人をしのぶセンチメンタルなフィルムコンサート”なんぞのレベルでではない、ここに確かに今プリンスが存在するかのような一体感。一音も、いちグルーブたりとものがすまいと渾身のライブをするバンドメンバーの姿に、アリーナを埋め尽くした観客は狂喜した。
Day3 :4/21
セレブレーション3日目の4月21日はプリンスの命日。黙とうから一日が始まった。
“Young, Athletic, Dancing horn section”
ニューパワージェネレーション(NPG)のホーンセクション、通称『Funk Soldiers(ファンクソルジャーズ)』のメンバーと、キーボードのカサンドラ・オニール(Cassandra O’Neal)によるパネルトークでは、エイドリアン・クラッチフィールド(Adrian Crutchfield:Sax)が、「(昨夜のライブで流れていた)2011年のシャーロットのショウを、僕はマーカス(アンダーソン)と客席からファンとして見ていたんだ。まさか今、そのショウをバックにふたりでプリンスのトリビュートをするとは」と感慨深げに振り返った。カサンドラも、「5歳の時プリンスの『I wanna be your lover』を聞いて、キーボードパートをコピーしたの。その憧れの人のバンドでピアノを弾く日が来るとも知らずに」と、しみじみ。
皆が口を揃えるのは、プリンスのリハーサルの徹底ぶりだった。「プリンスは12分のステージのために12時間練習する人」(カサンドラ)「プリンスとの仕事ではどれほどリハーサルしたかわからない。どんなショーも完ぺきに準備することの大切さをプリンスから学んだ」(エイドリアン)
今日の締めは、その「Funk Soldiers」たちによるパフォーマンス 。
昨夜と同じようにShelby J. 、Kip Blackshireのふたりのパワーヴォーカルも加わり、さく裂するエネルギーを手の届く距離で感じて終始鳥肌。若い彼らに、プリンスの魂は確実に受け継がれている。プリンスも今この瞬間、彼らを微笑みながら見ているのだろうか。ふと天井を仰いだ。
終了後、サイン攻めや握手攻めにあうメンバーたちをやさしく見つめるカサンドラに、思わずありがとう、と声をかけた。
「ファンの力が何よりも後押ししてくれるんだっていつも彼は言っていた。これからもどんどん彼の音楽をシェアして伝えていってね」彼女のうるんだ瞳が印象的だった。
Day4:4/22
まずは、通常よりもたっぷりとかけて館内ツアーが行われた。
本当のファミリーによる、本当のパフォーマンス
今年のセレブレーションを締めくくったのは、プリンスの初期のキャリアを支え、プリンスを世に送り出した、いわば“ルーツともいえるバンド「ザ・ファミリー(The Family)」(現在は「fDeluxe」)によるライブ。メンバーは、セント・ポール・ピーターソン(St. Paul Peterson:Bs & Vo)ジェリービーン・ジョンソン( Jellybean Johnson:Gt. & Dr), エリック・リーズ( Eric Leeds:Sax), スザンナ・メルヴォイン(Susannah Melvoin :Vo. レボリューションのウェンディ―とは双子の姉妹。)
「プリンスはザ・ファミリー(バンド)を結成し、それが時間をかけて本当のファミリーになったんだよ」
先に行われたパネルトークでポールが語っていたとおり、長年の結束の固さとキャリアを物語る、タイトで大人な音が心に染み入る。これこそ、プリンスの言う”Real Music By Real Musician”だ。
1985年にレコーディングされた『Nothing Compares 2 U』は、スザンナを想ってプリンスが書いた曲。ポールのベースソロから始まり、スザンナのコーラス、エリックの甘く切ないSaxが絡みつく。33年の時を経て、オリジナルアレンジでこの曲を聞ける、この感動はどう言葉にしていいのかもはやわからない。
プリンスでつながった絆
今回のセレブレーションでは、イギリス、フランス、スペイン、そして日本からも駆け付けたファンたちと出会った。日本からひとりで参加した30代の男性は、12月に行くと決めてチケットを買い、職場に休暇をとって参加した。「空き時間にはレンタル自転車でひたすら何時間もかけてプリンスゆかりの地を巡っています。毎日行く先々で新しい友人ができてもう夢中。毎晩、どのライブを見に行くかで出会う人や音楽が違ってくる。この巡り合わせも楽しい。まるで人生のよう」
フランスからきたラファエルさん(40代・男性)は、プリンス本を出版するほどのマニア。ミネアポリスだけでもう20回は訪れ、プリンスのステージは100回生で見た。
「13歳のとき、軽い気持ち見に行ったプリンスのライブで、僕の人生は変わったんだ。忘れもしないよ。オープニングでステージの黒い幕がサーっと床に落ちて、黒いブリーフ一枚のプリンスが目の前に現れたその瞬間、僕は少年から男になったんだ(笑)」
プリンスがよくお忍びで通っていたミネアポリスの老舗ライブハウス『Bunker’s Music Bar & Grill』に、自らのレゲエバンドで毎週出演しているシャリムさん(カリブの国、クラドループからの移民)は、私を彼の車(Uber)でホテルに送ってくれる道すがら、こんな話を聞かせてくれた。
「プリンスはたまにこの店に遊びにきていたよ。ある日ぼくの歌を聞いたあとにマネジャーに僕を呼んでくるように言ったんだ。プリンスが僕に会いたい?あの”プリンス・ネルソン”のことかい?って思わず二度聞きしたよ(笑)。彼は『君の歌、いいね。曲も書くのかい?今度きかせてくれよ』って。それを言うために呼んでくれたんだ。『君のような人がミネアポリスに多様性をもたらしてくれる、ありがとう』とも言ってくれた。穏やかで、あったかい人。Good manだった」
プリンスの愛したもの、愛した人、愛した場所、すべてがこの町にあふれている。 そしてそれは、全世界のプリンスファンにとっての「帰れる場所」でもある。 ニューヨークでもカリフォルニアでもない、この愛すべき中西部のホスピタリティーが、プリンスという人物・全人格を生み出したのだ。そう確信する旅だった。
ありがとう、ミネアポリス。
ありがとう、ミネソタ。
(ここにまだまだ書ききれないインタビューや逸話など、またどこかで発表できることを祈って・・・)
※シカゴ侍のFacebookにアルバムをアップしていますので合わせてご覧ください。
■取材協力
ペイズリーパーク (Paisley Park)
住所:7801 Audubon Road, Chanhassen, Minnesota
ミネアポリス市内から車で約30分。ブルーミントン市内から車で約20分。
Webサイト:OfficialPaisleyPark.com.
Facebook : www.facebook.com/OfficialPaisleyPark
Instagram :www.instagram.com/officialpaisleypark
Twitter : http://twitter.com/paisleypark
カントリー・イン・アンド・スイーツ(Country Inn & Suites® by Radisson, Mall of America)
ペイズリーパーク、ミネアポリスまでそれぞれ車で20分と交通至便な立地にある、リーズナブルでファミリーにやさしいホテル。無料のブッフェ朝食が朝9時半まで食べられるのもうれしい。インドアプール、ランドリー設備も完備。全米一大きいショ
ッピングモール、「モール・オブ・アメリカ」のすぐそばにあり、買い物やレジャーも存分に楽しめる。
住所:2221 Killebrew Drive, Bloomington, MN
電話: (952) 854-5555 Fax:(952) 854-5564
モール・オブ・アメリカ Mall of America (M.O.A)
アメリカNo.1の超巨大複合ショッピングモール。デパート3店舗、店舗数520以上、レストラン約50店、インドア遊園地、14スクリーンの映画館、2つの高級ホテル(JWマリオット、ラディソン・ブルー)を有し、丸一日館内で過ごせる。靴と衣料品には税金がかからない買い物天国を楽しもう。「House of Blues」には、プリンスのステージ衣装やギターが展示されている。
住所:60 E. Broadway, Bloomington, MN
(952)883-8800
www.Mallodamerica.com
ミネソタ政府観光局 Explore Minnesota
www.exploreminnesota.com
ミネアポリス観光局
https://www.minneapolis.org
MEET MINNEAPOLIS
250 Marquette Ave S, Minneapolis, MN 55401
MINNEAPOLIS VISITOR INFORMATION ON NICOLLET
505 Nicollet Suite 100, Minneapolis, MN 55402
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1301 Second Ave S, Minneapolis, MN 55403
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